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岡山放送

2025.08.06

【戦後80年 つなぐ約束】1)被爆した義母は他界…体験を語り継ぐ「語り部2世」の思い【香川】

戦後80年、「つなぐ約束」と題してシリーズでお伝えします。第1弾は広島の被爆者について。時の経過は、被爆者を取り巻く環境にも変化をもたらしています。

被爆者の体験を語り継ぐ「語り部2世」が胸の内を明らかにしました。

(入江紀文さん)
「経験をした人がまた1人減った。これは人間の老いの宿命。どういう体験をした人であれいずれ老いて死んでいく」

2024年、98歳で亡くなった妻の母親について語る香川県多度津町の入江紀文さん(76)。妻の母親、松村ハルコさんが被爆者でした。

10年前、入江さんは広島に住む生前のハルコさんから被爆体験を熱心に聞いていました。

1945年8月6日、広島の上空でアメリカ軍機が投下した原子爆弾。まちは壊滅し、その年だけで約14万人が犠牲となり、多くの人が放射線による被害に苦しみました。当時20歳のハルコさんは爆発の衝撃を免れましたが、まちの惨状を目の当たりにしています。

(松村ハルコさん(当時90))
「(被爆者は)皮膚は伸びて焼けて汁が垂れる。それが土を擦るほど、下に伸びる」
・・・真剣に聞く入江紀文さん

(入江紀文さん)
「忘れられない(被爆後の)1週間を、同じことを繰り返さないために残したいと思っていた時に「あんたが聞いてくれて良かった。戦後70年が戦後80年、90年、100年とずっと数字が増えることを望みたい」と言っていた。人間はばかだと、痛い目に遭ってもまた同じことを繰り返すと。その典型が戦争だと言っていた」

入江さんはハルコさんの話をもとに、現地に足を運んだり文献を調べたりして被爆体験をまとめました。

そしてハルコさんの代わりに「語り部2世」として講演を行うようになりました。

(当時66歳の入江紀文さん)
「やけどをした体、水を欲する心で、とにかく水を求めて死体をかき分けた。そして顔を突っ込み、水を飲み、死んでいった」

戦後生まれの入江さん。戦争や被爆の体験がなく「伝えきれない」という葛藤が生じる中、この10年、講演を続けてきました。ただ2024年にハルコさんが亡くなってから気持ちに変化がありました。

(入江紀文さん)
「亡くなった友達や身内のためにも何倍も何倍も生きていかないといけないと口癖にしていた。そういうのが私自身の支えだった。その母が亡くなってしまうと、その母が今も頑張って98歳で生きていますというのでは、伝え方、気持ちの入れ方が違う。ちょっと、なえた部分がある」

2025年は戦後80年の節目の年。しかし、現在「語り部2世」としての活動の予定はありません。

(入江紀文さん)
「そういう話す機会が向こうから巡ってきたら応じたい。戦争体験の語り部は昔の、昔の、その昔の出来事だと、だんだん過去に追いやられていくように思う」

伝えきれないという葛藤の中、活動を続けてきましたが、記憶の継承にも限界を感じています。

(入江紀文さん)
「自分自身が生きるか死ぬかなら強烈に記憶に残る。(母親が)生きるか死ぬかの思いを体験したと子や孫に話してもそれは大変だったなで終わる。それに語り部として伝えるような中身がない。私自身の体験の中に・・・」

入江さんは、地域史の研究家でもあります。8月10日、瀬戸内国際芸術祭で注目される香川の離島に関して、戦争時代の知られざるエピソードを紹介する講演を行うことにしています。戦後80年、身近なものから戦争の歴史に関心を持ってほしいと願いを込めています。

(入江紀文さん)
「人に歴史あり、ものに由来あり。それを追求するといろいろな知識ができる。知識があれば判断力が柔軟にできる。それが自分の人生を豊かにするものだと思う」

記憶を押し付けるのではなく、「過去を知りたい」という心を育む。「語り部2世」が至った戦後80年の境地です。