2021.07.05
手話が語る福祉のコーナーです。西日本豪雨からまもなく3年。災害時に取り残されやすい聴覚障害者ですが、情報伝達手段など、取り巻く環境は変化し始めています。
手話が語る福祉のコーナーです。
西日本豪雨からまもなく3年。
災害時に取り残されやすい聴覚障害者ですが、情報伝達手段など、取り巻く環境は変化し始めています。
生活の中心であるリビングは、がらんとしています。
岡山市に住む岡崎さん夫婦。
3年前に西日本豪雨で被災してから自宅の1階には極力、家具や家電を置いていません。
(被災した岡崎浩章さん)
「以前は、ここにテレビを置いていた。でも、豪雨の後、ここに置くのはやめて、別の場所に移動した。
(どこまで水が来たんですか?)床上30センチくらい。このくらいまで水が来ました。雨の音はまったく聞こえませんでした」
耳が聞こえない2人を襲ったのは、突然の浸水だけではありませんでした。
(岡崎浩章さん)
「避難については、全く情報がわからないままだった」
(岡崎純子さん)
「2階に主人と2人でいたが、たまたま隣の家のご主人も2階にいて目が合った。その時に身振りで少し話ができて、情報を頂けた」
岡山県内に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。
聴覚障害者にとって災害時は、情報伝達の手段やコミュニケーションの不足から、孤立してしまうケースがあります。
しかし、聞こえなくても力になりたいと、災害ボランティアに参加した女性がいました。
(梅岡光恵さん)
「(ボランティアに参加したのはなぜですか?)私は聴覚障害者だけど、体は動くし体力もある。できることがあるので参加した。畳を運び出したり、2階の座布団や椅子などを運び出した」
倉敷市の梅岡光恵さんは、真備町内で5日間、ボランティアに参加しました。
その時、持ち出したのは1冊のノートでした。
(篠田吉央キャスターノート読み上げ)
「コミュニケーションを取ったんですね。初めまして、耳が不自由ですが、もしかしたら断られるかもしれないので、受付について行っていいですか?福岡の方とやり取りされたんですね」
ノートにつづられていたのは、他のボランティアとのやり取り。
耳が聞こえなくても、コミュニケーションを取り合いながら、作業できました。
(梅岡光恵さん)
「被災した人の家族に『ありがとう』と言われてうれしかった。お年寄りも子供も男性も女性も障害者も、みんなできることはある。みんなで力を合わせれば、そこに本当の福祉が生まれると思う」
一歩を踏み出したのは、この女性だけではありません。
(篠田吉央キャスター)
「豪雨を受けて、倉敷市の聴覚障害者協会では、新しい取り組みを始めました」
当時、避難した聴覚障害者の安否確認に時間がかかった経験から、自分の情報や緊急時の連絡先などをまとめておき、見せるだけで伝えられるハンドブックを2021年3月に作りました。
災害時に支援が届くのを待つだけでなく、自ら備え、伝えようと、聴覚障害者の意識にも変化が出ています。
(倉敷市聴覚障害者協会 小玉久美子会長)
「避難所に行ったら必ず自分から『私は聞こえません情報を下さい』と勇気をもってアピールする必要があると思います。そうすれば色々助けてくれると思う」
そんな中、聴覚障害者の意思疎通をサポートする新たな国の制度が、2021年7月1日からスタートしました。
(菅義偉首相)
「障害の有無に関わらず、誰もが電話を24時間自由に活用することが可能となります」
聴覚障害者や言葉を話すことが難しい人が、電話を掛けたり受けたりできる電話リレーサービスというもので、離れた場所にいるオペレーターが、手話や文字で同時通訳します。
これまでにも同じようなシステムはありましたが、公共インフラとなったことで、対応できていなかった緊急通報や、24時間365日の使用が可能になり、災害時の活用にも期待されています。
(運営にあたる日本財団電話リレーサービス広報チーム 廣瀬正典さん)
「聞こえない方から、家族、友人、親戚など、遠方に住んでいる方含めて連絡して、安否確認ができる。そういったことが即時にできるので、今回、緊急時においても活用して欲しい」
運営側では、瞬時のやり取りにも確実に対応できるようオペレーターのスキルアップに力を入れています。
(運営にあたる日本財団電話リレーサービス通訳オペレーションチーム中嶋直子ディレクター)
「聞こえない人は、出先でスマホを使うことが多く、小さい画面でオペレーターの手話を見る。
(『教えて』は)指1本で表現するので、瞬時にわかりにくいので、『説明』などの手話表現に換えるよう工夫させている」
西日本豪雨からまもなく3年。
被災し、情報不足に陥った岡崎さんもこうした制度の積極的な活用が重要だと考えています。
(岡崎純子さん)
「今の制度やシステムはどんどん進化しているので、私たちはそれに慣れる必要がある。そして、みんなで助け合える社会になって欲しいと思います」
いつどこで起こるか分からない災害。
この3年間で進んだ情報伝達手段や意識の変化は、聴覚障害者にとって大きな備えになるはずです。