2022.09.03
“マンガ”で伝える…ハンセン病元患者の思い 入所者の見た景色や思いを色鮮やかに…【岡山】
ハンセン病の元患者の随筆や俳句をもとに、マンガを描いてインターネットなどで発信している女性が岡山県奈義町にいます。女性がマンガに込めた思いを取材しました。
■マンガ
「入園すると、すぐに連れていかれる所を当時は収容所といった」 「その一夜が、父と一つ屋根の下で過ごした最後になろうとは、夢にも思っていなかった」
「父がどこの寮に落ち着いたのか、私は知らなかったけれど、毎日のように会いに来てくれるのだった。そんなある日」
(父)「瞳孔って知ってるか」
(森田少年)「え?」
(父)「目の玉の真ん中の黒いところがあるだろ?わかるか?」
(森田)「うん」 ハンセン病の元患者がつづった随筆や俳句などをもとに描かれたマンガ。 描いたのは、岡山県奈義町に住むイラストレーターのあさの のいさん(37)です。 あさのさんは、10年前、千葉から岡山に移住してきました。 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所、長島愛生園を訪れた際、入所者が思いを寄せた機関誌「愛生」のことを知りました。 (あさの のいさん)
「機関誌の中には、苦しみだけではなく、入所者がどう感じてきたかが書かれている。苦しみの中の喜び、ささいなやりとりがあったことで、初めて私と同じなんだという感じがして、そこから入っていった」 「愛生」は、開園の翌年の1931年から約90年に渡り定期的に発行されてきました。その数は、約830に上ります。入所者の思いやエピソード、最近では、対談の内容なども掲載されています。
この日、あさのさんは、次のマンガを書くため園を訪れ、入所者の話を聞きました。70年以上、長島愛生園で暮らす自治会長の中尾伸治さん(88)です。 (あさの のいさん)
「少年舎で暮らしていたことや、卒業して牛舎で働いていた時のこと、結婚していた時のことを もうちょっと詳しく聞けたら」
(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「驚いたのは、初めて少年舎に行って、9時頃になったら消灯ラッパ。寝なさいよとラッパを吹く、あれにはびっくりした」
(あさの のいさん)
「中尾さんが入所した後に、奈良の家に消毒が入ったという話が出てきて」 (長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「初めておふくろに聞いてみた。こんな話あるけど、家はどうだったかと。お母さんがちょっと口ごもって、あったと教えてくれた。思い出してもつらかっただろうな」
中尾さんは、現在88歳。国の誤った隔離政策で、ハンセン病の元患者が人権侵害を受けた歴史を伝え、差別や偏見をなくそうと、今も活動を続けています。
あさのさんは、中尾さんの人生をマンガにすることにしました。
(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「僕の物語みたいなことで、ハンセン病のことがうまく伝わってくれたらいい」 (あさの のいさん)
「具体的に聞いて初めて想像できる。聞かずにいると、ただ漠然としたハンセン病としか知らなかったことが、人を通して見えてくる感じがある。知ったからには何か形にしたいという思いは、聞くたびに強くなる」 あさのさんは、長島愛生園から、マンガを、学校で行われる人権学習に活用したいという依頼を受けました。 (長島愛生園学芸員 木下 浩さん)
「ハンセン病によって、差別を受けて、偏見の目で見られた人たちがいる。その人たちの思いを見て、分かってもらって、自分たちが差別・偏見のない世の中を作っていくための勉強する材料になれば」 長島愛生園の入所者は109人。平均年齢は、88歳を超えました。 (あさの のいさん)
「その人が見ていた一瞬の景色。ふいに思い出した思い出。すごくささいなことを表現して、そこから入っていける第一歩になるものが作れたらいい」
入所者の見た景色や思いを、あさのさんは、色鮮やかに伝えます。
■マンガ
「それから半年あまり、父が私に目を見せにくる日が続いた」 (森田少年)「少しにごった感じ、灰色っぽい」
(父)「昨日よりもか」
「その萎縮した瞳孔は生気がなく、間近くのぞきこんでいる私の影はうつらないのである」
「それから10年、父は故人となり、私も目を病みはじめた」 「視力のあるうちに私の顔を目の底にやきつけておこうと、日課のようにしていたのかもしれないと、今は思えるのである」
■マンガ
「入園すると、すぐに連れていかれる所を当時は収容所といった」 「その一夜が、父と一つ屋根の下で過ごした最後になろうとは、夢にも思っていなかった」
「父がどこの寮に落ち着いたのか、私は知らなかったけれど、毎日のように会いに来てくれるのだった。そんなある日」
(父)「瞳孔って知ってるか」
(森田少年)「え?」
(父)「目の玉の真ん中の黒いところがあるだろ?わかるか?」
(森田)「うん」 ハンセン病の元患者がつづった随筆や俳句などをもとに描かれたマンガ。 描いたのは、岡山県奈義町に住むイラストレーターのあさの のいさん(37)です。 あさのさんは、10年前、千葉から岡山に移住してきました。 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所、長島愛生園を訪れた際、入所者が思いを寄せた機関誌「愛生」のことを知りました。 (あさの のいさん)
「機関誌の中には、苦しみだけではなく、入所者がどう感じてきたかが書かれている。苦しみの中の喜び、ささいなやりとりがあったことで、初めて私と同じなんだという感じがして、そこから入っていった」 「愛生」は、開園の翌年の1931年から約90年に渡り定期的に発行されてきました。その数は、約830に上ります。入所者の思いやエピソード、最近では、対談の内容なども掲載されています。
この日、あさのさんは、次のマンガを書くため園を訪れ、入所者の話を聞きました。70年以上、長島愛生園で暮らす自治会長の中尾伸治さん(88)です。 (あさの のいさん)
「少年舎で暮らしていたことや、卒業して牛舎で働いていた時のこと、結婚していた時のことを もうちょっと詳しく聞けたら」
(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「驚いたのは、初めて少年舎に行って、9時頃になったら消灯ラッパ。寝なさいよとラッパを吹く、あれにはびっくりした」
(あさの のいさん)
「中尾さんが入所した後に、奈良の家に消毒が入ったという話が出てきて」 (長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「初めておふくろに聞いてみた。こんな話あるけど、家はどうだったかと。お母さんがちょっと口ごもって、あったと教えてくれた。思い出してもつらかっただろうな」
中尾さんは、現在88歳。国の誤った隔離政策で、ハンセン病の元患者が人権侵害を受けた歴史を伝え、差別や偏見をなくそうと、今も活動を続けています。
「僕の物語みたいなことで、ハンセン病のことがうまく伝わってくれたらいい」 (あさの のいさん)
「具体的に聞いて初めて想像できる。聞かずにいると、ただ漠然としたハンセン病としか知らなかったことが、人を通して見えてくる感じがある。知ったからには何か形にしたいという思いは、聞くたびに強くなる」 あさのさんは、長島愛生園から、マンガを、学校で行われる人権学習に活用したいという依頼を受けました。 (長島愛生園学芸員 木下 浩さん)
「ハンセン病によって、差別を受けて、偏見の目で見られた人たちがいる。その人たちの思いを見て、分かってもらって、自分たちが差別・偏見のない世の中を作っていくための勉強する材料になれば」 長島愛生園の入所者は109人。平均年齢は、88歳を超えました。 (あさの のいさん)
「その人が見ていた一瞬の景色。ふいに思い出した思い出。すごくささいなことを表現して、そこから入っていける第一歩になるものが作れたらいい」
入所者の見た景色や思いを、あさのさんは、色鮮やかに伝えます。
■マンガ
「それから半年あまり、父が私に目を見せにくる日が続いた」 (森田少年)「少しにごった感じ、灰色っぽい」
(父)「昨日よりもか」
「その萎縮した瞳孔は生気がなく、間近くのぞきこんでいる私の影はうつらないのである」
「それから10年、父は故人となり、私も目を病みはじめた」 「視力のあるうちに私の顔を目の底にやきつけておこうと、日課のようにしていたのかもしれないと、今は思えるのである」