2022.11.04
創業約200年 老舗弁当店がアフターコロナで選んだ道とは…「三好野本店」【岡山】
岡山の駅弁で知られる岡山市の老舗弁当店、「三好野本店」が、コロナ禍の業績悪化などから県内でスーパーを展開する「天満屋ストア」の傘下に入り、新たなスタートを切りました。アフターコロナに向けた新たな取り組みを取材しました。
旅の思い出を彩る駅弁!祭り寿司など、岡山らしさを演出する駅弁の数々。これらの駅弁を手がけているのが、創業約200年の老舗弁当店、三好野本店です。 (三好野本店 若林昭吾会長)
「これはおいしいと思ったことが、旅の記憶に残る。これが駅弁の醍醐味。それが軸となって、100年以上続いてきた」 2022年7月、三好野本店は、岡山県の内外で天満屋ハピータウンなど、スーパー50店舗を展開する岡山市の天満屋ストアの傘下に入りました。 スーパーが持つ抜群の販売力を後ろ盾に、老舗企業が新たなスタートを切りました。
三好野本店は、JR岡山駅などでの駅弁の販売ほか、花見弁当やおせちなどの製造販売を手掛ける老舗弁当店です。
江戸時代に米問屋として創業。岡山駅が開業した1891年から駅弁の販売を続けてきました。 ■昭和30年代は立ち売りが主流 多くの人に愛された駅弁でしたが…。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「新型コロナが一番大きい。長くやって一番つらいのは、新型コロナ。もともと私たちの仕事は、人が大勢集まったところが得意。人が移動することが得意。みんなコロナでちょっとね…。ハレの日の需要、何とか大会、運動会があったり、そういう時こそ三好野にお願いしようと 言ってくれていたのが、なかなか難しいとなった」 新型コロナウイルスの感染拡大。相次ぐ緊急事態宣言などでの移動制限。駅の利用者は激減し、弁当の売上も減少しました。若林さんは、社長として事業規模の縮小ではなく、天満屋ストアの傘下に入ることを選びました。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「岡山の皆さんに愛してもらったり、一緒に働いている従業員を、どうしてあげたらいいか考えたら最善」
天満屋ストアから新しい社長を迎えた三好野本店は、新たな展開を仕掛けようと意気込んでいます。
(三好野本店 赤木信浩社長)
「日々の食生活に寄り添える、お弁当の三好野という形に認知してもらい、純粋想起してもらえる会社になれば」 1日に約1万食を生産している三好野の弁当工場では、駅弁の他に、スーパーの総菜売り場に置く商品も製造することになりました。こうして、従業員の数を減らすことなく、三好野の味を守り続けています。 (三好野本店 若林昭吾会長)
「新たにいろんな所で 売れることになったので、弁当を今まで以上にたくさん作れるということは、みんなが同じ人たちが 一緒にいられることはうれしい」
圧倒的な知名度とノウハウに天満屋ストアの販売力が加わることで、より多くの人に自慢の味を届けることも可能だと若林会長は、期待を膨らませています。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「一番は、今まで三好野の弁当と触れていない人たちに、いろんな所で食べて、おいしいと思って、また買ってもらえる。それが大事。今後100年見据えるとベスト」
天満屋ストアが運営するスーパーには、2022年9月から三好野の弁当が並び始めました。 (天満屋ストア 小坂章壽専務)
「総菜売り場では、お客様の要望ニーズが非常に高くなってきた。そこの商品を充実させるのも、三好野本店が入ることでやっていけるのでは」 三好野の弁当は、売れ行きも好調で、三好野が監修した新商品も生まれました。
(天満屋ストア 小坂章壽専務)
「地元岡山で生まれ育った企業がタッグを組んで、厳しいアフターコロナの中、経済の変化に対し、地元企業が手を合わせることで 乗り切って、地元のお客様に愛される企業として 育っていけるのでは」
(三好野本店 若林昭吾会長)
「ひょっとしたら、今までないこと、どんどんできるチャンスができる。これが何より。今からワクワクする」 苦境をチャンスに変えるために…地元企業が互いの強みを生かして厳しい時代を乗り越えようとしています。
旅の思い出を彩る駅弁!祭り寿司など、岡山らしさを演出する駅弁の数々。これらの駅弁を手がけているのが、創業約200年の老舗弁当店、三好野本店です。 (三好野本店 若林昭吾会長)
「これはおいしいと思ったことが、旅の記憶に残る。これが駅弁の醍醐味。それが軸となって、100年以上続いてきた」 2022年7月、三好野本店は、岡山県の内外で天満屋ハピータウンなど、スーパー50店舗を展開する岡山市の天満屋ストアの傘下に入りました。 スーパーが持つ抜群の販売力を後ろ盾に、老舗企業が新たなスタートを切りました。
三好野本店は、JR岡山駅などでの駅弁の販売ほか、花見弁当やおせちなどの製造販売を手掛ける老舗弁当店です。
江戸時代に米問屋として創業。岡山駅が開業した1891年から駅弁の販売を続けてきました。 ■昭和30年代は立ち売りが主流 多くの人に愛された駅弁でしたが…。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「新型コロナが一番大きい。長くやって一番つらいのは、新型コロナ。もともと私たちの仕事は、人が大勢集まったところが得意。人が移動することが得意。みんなコロナでちょっとね…。ハレの日の需要、何とか大会、運動会があったり、そういう時こそ三好野にお願いしようと 言ってくれていたのが、なかなか難しいとなった」 新型コロナウイルスの感染拡大。相次ぐ緊急事態宣言などでの移動制限。駅の利用者は激減し、弁当の売上も減少しました。若林さんは、社長として事業規模の縮小ではなく、天満屋ストアの傘下に入ることを選びました。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「岡山の皆さんに愛してもらったり、一緒に働いている従業員を、どうしてあげたらいいか考えたら最善」
天満屋ストアから新しい社長を迎えた三好野本店は、新たな展開を仕掛けようと意気込んでいます。
(三好野本店 赤木信浩社長)
「日々の食生活に寄り添える、お弁当の三好野という形に認知してもらい、純粋想起してもらえる会社になれば」 1日に約1万食を生産している三好野の弁当工場では、駅弁の他に、スーパーの総菜売り場に置く商品も製造することになりました。こうして、従業員の数を減らすことなく、三好野の味を守り続けています。 (三好野本店 若林昭吾会長)
「新たにいろんな所で 売れることになったので、弁当を今まで以上にたくさん作れるということは、みんなが同じ人たちが 一緒にいられることはうれしい」
圧倒的な知名度とノウハウに天満屋ストアの販売力が加わることで、より多くの人に自慢の味を届けることも可能だと若林会長は、期待を膨らませています。
(三好野本店 若林昭吾会長)
「一番は、今まで三好野の弁当と触れていない人たちに、いろんな所で食べて、おいしいと思って、また買ってもらえる。それが大事。今後100年見据えるとベスト」
天満屋ストアが運営するスーパーには、2022年9月から三好野の弁当が並び始めました。 (天満屋ストア 小坂章壽専務)
「総菜売り場では、お客様の要望ニーズが非常に高くなってきた。そこの商品を充実させるのも、三好野本店が入ることでやっていけるのでは」 三好野の弁当は、売れ行きも好調で、三好野が監修した新商品も生まれました。
(天満屋ストア 小坂章壽専務)
「地元岡山で生まれ育った企業がタッグを組んで、厳しいアフターコロナの中、経済の変化に対し、地元企業が手を合わせることで 乗り切って、地元のお客様に愛される企業として 育っていけるのでは」
(三好野本店 若林昭吾会長)
「ひょっとしたら、今までないこと、どんどんできるチャンスができる。これが何より。今からワクワクする」 苦境をチャンスに変えるために…地元企業が互いの強みを生かして厳しい時代を乗り越えようとしています。