2022.12.09
【ライブトーク】福田廉之介さん~世界で活躍するバイオリニスト、恩師との出会い~【岡山】
今、旬な人に直接会って話を伺う「森夏美のライブトーク」。今回のゲストは赤磐市出身のバイオリニスト、福田廉之介さんです。15歳でスイスに留学し、世界を舞台に活躍する若手実力派。その原点に迫りました。
(森夏美アナ)「はじめまして、きょうはよろしくお願いします」 (福田廉之介さん)「よろしくお願いします」
(森夏美アナ)「こちらが普段使っているバイオリン?」
(福田廉之介さん)「そうです」
(森夏美アナ)「いつ頃作られたもの?」
(福田廉之介さん)「1773年にイタリアで作られた楽器。割れて修理してを繰り返して現存している」
(森夏美アナ)「早速何か弾いて頂くことは…」
(♪演奏聞かせる) (森夏美アナ)「素晴らしいです」
(福田廉之介さん)「弾いた後にどういう顔すればいいかわからないですね」 赤磐市生まれのバイオリニスト、福田廉之介さん(23)。3歳の時にバイオリンを始め、中学卒業後7年間スイスに留学。メニューイン国際コンクールなど数々の世界大会で優勝し、多くの楽団と共演を果たす若手実力派です。
(森夏美アナ)「一番思い出に残っている今年(2022年)のコンサートは?」
(福田廉之介さん)「今年はスイスで初めてツアーをした。同じオーケストラとスイスの色んな大きなホール、すごくきれいな…を回って演奏できたのは一番の思い出」 幼い頃からその実力が話題となっていた福田さん。OHKの取材も受けていました。
(♪5歳の時の演奏映像) (福田廉之介さん※当時)「コンクールで金賞をとりたいです」 (森夏美アナ)「バイオリンを始めたきっかけは?」
(福田廉之介さん)「僕はネオポリスという新しい団地の中だったので、女の子は趣味で必ずピアノをする文化があった。一軒挟んでピアノの音がして、またその奥でピアノの音がして…が当たり前で。その中で、どうせ趣味でさせるなら他の楽器がいいだろうと。物心ついた時にはバイオリニストになりたいというのがあったので、それが現実になって、お金も頂いてというのが可能とは思っていなかった」 2022年、スイス留学を終え岡山に帰ってきた福田さん。自らが結成した若手音楽家集団、「ザ・モスト」を率いてコンサートを開くなど、地元・岡山での活動も精力的に行っています。 (福田廉之介さん)「すごく岡山って僕好きで。色んなことを受け入れてくれる文化・人だと思う。岡山でクラシック音楽は予算のこともあって豪華なものは聴けないことが多いけど、手助けという言葉は正しくないが、いい音楽を低価格で提供できるよう努力することを頑張っている」 (森夏美アナ)「ここからは福田さんの人生の転機となった写真をご用意頂きました」
【人生の転機】
(森夏美アナ)「こちらの写真は?」
(福田廉之介さん)「今はもう亡くなった、工藤千博先生。この先生との出会いが一番転機となった」 転機となったのは、子供の頃に3年間教わったバイオリンの先生、工藤千博さんとの出会いでした。
(森夏美アナ)「指導の面で有名な先生?」
(福田廉之介さん)「もともと京都市交響楽団のコンサートマスターをしていて、みんなに好かれて本当にいい先生だった。ずっと笑顔を絶やさない先生」
(森夏美アナ)「(先生の教えで)今でも大切にしていることは?」
(福田廉之介さん)「バイオリンは弾くだけではない、音を出すだけではない。楽譜に書いてあることは一緒なので、自分の音楽にしてどう表現するか。色んなアイディアをタンスの引き出しにたくさん詰めてもらった」 音楽の魅力を教えてくれた恩人…。工藤先生と一緒に映っている3枚の写真を、今もバイオリンケースに入れて、肌身離さず持ち歩いています。 【人柄に迫る】
(森夏美アナ)「ここからは時間の許す限り5枚のカードを使って進めたいと思います」
『やってみたい職業』
(森夏美アナ)「音楽一筋で来られているけど…ありますか?」
(福田廉之介さん)「あります。出来る自信ないけど医者。人を助けたいから。今音楽しているうえでも心の癒しに音楽もなる。でも(医者は)絶対できない仕事なんです。血を見ることができないので」 『最近泣いたのはいつ?』
(森夏美アナ)「泣きますか?普段」
(福田廉之介さん)「泣きますよ。恥ずかしながら映画を見ながら泣く。『愛の不時着』を見た時も感動して泣いた」
様々なことに思いを馳せ、コンサート中に涙を流しながら弾くこともあったという福田さん。最後に、この時期ならではの曲をリクエストさせて頂きました。
(♪「きよしこの夜」少し聞かせる) (森夏美アナ)「最後に福田さんの今後の夢をお聞かせください」
(福田廉之介さん)「無事に長生きしながら、色んな人に自分の演奏を聞いてもらうこと。すごく単純なことかもしれないが、とても難しいことだと思う。いつ何が起こるかわからないから。長く続けることが一番の夢」
(森夏美アナ)「はじめまして、きょうはよろしくお願いします」 (福田廉之介さん)「よろしくお願いします」
(森夏美アナ)「こちらが普段使っているバイオリン?」
(福田廉之介さん)「そうです」
(森夏美アナ)「いつ頃作られたもの?」
(福田廉之介さん)「1773年にイタリアで作られた楽器。割れて修理してを繰り返して現存している」
(森夏美アナ)「早速何か弾いて頂くことは…」
(♪演奏聞かせる) (森夏美アナ)「素晴らしいです」
(福田廉之介さん)「弾いた後にどういう顔すればいいかわからないですね」 赤磐市生まれのバイオリニスト、福田廉之介さん(23)。3歳の時にバイオリンを始め、中学卒業後7年間スイスに留学。メニューイン国際コンクールなど数々の世界大会で優勝し、多くの楽団と共演を果たす若手実力派です。
(森夏美アナ)「一番思い出に残っている今年(2022年)のコンサートは?」
(福田廉之介さん)「今年はスイスで初めてツアーをした。同じオーケストラとスイスの色んな大きなホール、すごくきれいな…を回って演奏できたのは一番の思い出」 幼い頃からその実力が話題となっていた福田さん。OHKの取材も受けていました。
(♪5歳の時の演奏映像) (福田廉之介さん※当時)「コンクールで金賞をとりたいです」 (森夏美アナ)「バイオリンを始めたきっかけは?」
(福田廉之介さん)「僕はネオポリスという新しい団地の中だったので、女の子は趣味で必ずピアノをする文化があった。一軒挟んでピアノの音がして、またその奥でピアノの音がして…が当たり前で。その中で、どうせ趣味でさせるなら他の楽器がいいだろうと。物心ついた時にはバイオリニストになりたいというのがあったので、それが現実になって、お金も頂いてというのが可能とは思っていなかった」 2022年、スイス留学を終え岡山に帰ってきた福田さん。自らが結成した若手音楽家集団、「ザ・モスト」を率いてコンサートを開くなど、地元・岡山での活動も精力的に行っています。 (福田廉之介さん)「すごく岡山って僕好きで。色んなことを受け入れてくれる文化・人だと思う。岡山でクラシック音楽は予算のこともあって豪華なものは聴けないことが多いけど、手助けという言葉は正しくないが、いい音楽を低価格で提供できるよう努力することを頑張っている」 (森夏美アナ)「ここからは福田さんの人生の転機となった写真をご用意頂きました」
【人生の転機】
(森夏美アナ)「こちらの写真は?」
(福田廉之介さん)「今はもう亡くなった、工藤千博先生。この先生との出会いが一番転機となった」 転機となったのは、子供の頃に3年間教わったバイオリンの先生、工藤千博さんとの出会いでした。
(森夏美アナ)「指導の面で有名な先生?」
(福田廉之介さん)「もともと京都市交響楽団のコンサートマスターをしていて、みんなに好かれて本当にいい先生だった。ずっと笑顔を絶やさない先生」
(森夏美アナ)「(先生の教えで)今でも大切にしていることは?」
(福田廉之介さん)「バイオリンは弾くだけではない、音を出すだけではない。楽譜に書いてあることは一緒なので、自分の音楽にしてどう表現するか。色んなアイディアをタンスの引き出しにたくさん詰めてもらった」 音楽の魅力を教えてくれた恩人…。工藤先生と一緒に映っている3枚の写真を、今もバイオリンケースに入れて、肌身離さず持ち歩いています。 【人柄に迫る】
(森夏美アナ)「ここからは時間の許す限り5枚のカードを使って進めたいと思います」
『やってみたい職業』
(森夏美アナ)「音楽一筋で来られているけど…ありますか?」
(福田廉之介さん)「あります。出来る自信ないけど医者。人を助けたいから。今音楽しているうえでも心の癒しに音楽もなる。でも(医者は)絶対できない仕事なんです。血を見ることができないので」 『最近泣いたのはいつ?』
(森夏美アナ)「泣きますか?普段」
(福田廉之介さん)「泣きますよ。恥ずかしながら映画を見ながら泣く。『愛の不時着』を見た時も感動して泣いた」
様々なことに思いを馳せ、コンサート中に涙を流しながら弾くこともあったという福田さん。最後に、この時期ならではの曲をリクエストさせて頂きました。
(♪「きよしこの夜」少し聞かせる) (森夏美アナ)「最後に福田さんの今後の夢をお聞かせください」
(福田廉之介さん)「無事に長生きしながら、色んな人に自分の演奏を聞いてもらうこと。すごく単純なことかもしれないが、とても難しいことだと思う。いつ何が起こるかわからないから。長く続けることが一番の夢」