2022.12.20
全国初 ハンセン病元患者の“解剖の記録”公開…生きた証と伝えたい思い【岡山】
ハンセン病の元患者の解剖の記録が、全国で初めて瀬戸内市の国立ハンセン病療養所で一般公開されています。公開を決めた遺族と療養所の園長。公開が実現した背景には、解剖録を通して伝えたい2人の思いがありました。
■瀬戸内市・長島愛生園 この日、人権学習のため、長島愛生園を訪れたのは、島根県の高校生です。
(長島愛生園 木下 浩学芸員)
「愛生園には何人かの解剖記録が残っている。皆さんに見てもらって、知ってもらうことによって、ハンセン病の偏見差別をなくしていく。助けになってもらえればと、希望があって、今、公開している」 1941年に55歳で亡くなった入所者・木村仙太郎さんの写真と解剖の記録などが展示されています。 全国で初めて行われた「解剖録」の展示…。 特別な思いで見守るのは、長島愛生園の山本典良園長です。
(長島愛生園 山本典良園長)
「どのように歴史を残していくのがいいのか、考えた時に、どういう生き方をしたのかを 皆さんに知ってもらうことで、何か道が開けるのでは」 愛生園で解剖録の存在が明らかになったのは2021年。
(長島愛生園 山本典良園長)
「これが解剖録。1人の患者に4~5ページの記載」
32冊の解剖録には、開園翌年の1931年以降、25年間で亡くなった入所者のうち8割にあたる1834人の記録が残されていました。施設の増築の際に廃棄されるはずでしたが、非常勤の男性医師が大切に保管していました。 (長島愛生園 山本典良園長)
「開示できないのが非常に残念。これが開示できる世の中、ハンセン病による偏見差別が なくなる世の中になってほしい」
解剖録を見ることができるのは、医師と遺族だけ。入所者と同じように、偏見や差別に苦しんできた遺族が、開示を求めることはありませんでした。ところが…。
(長島愛生園 山本典良園長)
「同じ思いの人がいるんだなと」 木村仙太郎さんの遺族が解剖録を見せてほしいと、山本園長のもとを訪れたのです。仙太郎さんの弟の孫、木村真三さん(55)です。仙太郎さんは、木村さんの大伯父にあたります。 「これが木村仙太郎さんの解剖の記録。6ページ」 木村さんが、仙太郎さんの存在を知ったのは28歳の時。病床に伏せる父親が教えてくれました。放射線被ばくを研究する医学者として、被ばくの風評被害に苦しむ人たちと関わってきた木村さん。 長きに渡り、差別と偏見にさらされてきたハンセン病の元患者である仙太郎さんの人生を深く知りたいと思うようになりました。そして、その過程で解剖録の存在を知ることになったのです。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「これも遺族の生きた証。人権回復は、家族の人権回復も含めて、自分たちの我がこととして見ていける」 「左の腎臓。10×6×4センチで130グラム。たぶん肺の開けたところの絵だと思う。直接的な死因は、結核によるもの」
木村さんに開示されたのは、仙太郎さんの解剖録や死亡診断書、解剖の同意書など6つの資料です。 この日、木村さんは、初めて、写真で残る仙太郎さんと対面しました。 (仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「大伯父はハンセン病で指がなかったから文字が書けない。肺結核が進んで自分の意思で書くことが出来ないと思うので、代筆だと分かった。複雑な気持ち」
解剖に適切な同意があったのか疑問が残る一方で、入所後、わずか2年で亡くなった仙太郎さんに対し、胸をなでおろすこともありました。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「自分で命を絶ったりしていたらつらいと思っていたが、そうではなく、病気で亡くなったということ。医学者という立場で、面白がって扱っているわけではないことは明らかに感じた。解剖録があって遺族としては良かった」 仙太郎さんの人生と改めて向き合った木村さんは、山本園長に仙太郎さんの写真と解剖録を、展示してほしいと要望しました。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「仙太郎を世間にさらす、さらすんじゃなくて、彼はまっとうに生きていたんだと、生きた証だと思う」 ■約1カ月後
■全国初 ハンセン病元患者の解剖録展示 (仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「もしかしたら万に一つでも、自分も名乗り出ようと思う人たちが出てくれればと思って公開した」 展示が始まって約2カ月。解剖録の開示を申し出た遺族は、まだいません。
(長島愛生園 山本典良園長)
「患者家族が手をあげないのは、偏見差別があるから。手をあげてくれる人が多ければ多いほど、徐々に解除、偏見差別が解消されている目安になる」 (山本園長と見学した高校生とのやりとり)
「(Q:この人どんな気持ち? 怒りとかあるかな?)落ち込んでる。諦めてる」
(見学した高校生は…)
「病気にかかったことも差別も苦しいと思う。それでも最期まで生きていてすごい」 「誹謗中傷とか、新型コロナになったとか、差別をしないように注意したい」
「写真見て言葉ではない、伝わるものを感じ取れた」
山本園長は、今後、他の入所者の写真も多くの人に見てもらえる機会を持ちたいと願っています。
(長島愛生園 山本典良園長)
「じっくり見て、初めて、これは残す価値があるなと。写真には、人生が書いてあるなと、人生が感じられると思っている」 約80年の時を経て公開された「解剖録」。ハンセン病の元患者の生きた証ともいえるこの資料は、私たちに大切なことを語りかけています。
■瀬戸内市・長島愛生園 この日、人権学習のため、長島愛生園を訪れたのは、島根県の高校生です。
(長島愛生園 木下 浩学芸員)
「愛生園には何人かの解剖記録が残っている。皆さんに見てもらって、知ってもらうことによって、ハンセン病の偏見差別をなくしていく。助けになってもらえればと、希望があって、今、公開している」 1941年に55歳で亡くなった入所者・木村仙太郎さんの写真と解剖の記録などが展示されています。 全国で初めて行われた「解剖録」の展示…。 特別な思いで見守るのは、長島愛生園の山本典良園長です。
(長島愛生園 山本典良園長)
「どのように歴史を残していくのがいいのか、考えた時に、どういう生き方をしたのかを 皆さんに知ってもらうことで、何か道が開けるのでは」 愛生園で解剖録の存在が明らかになったのは2021年。
(長島愛生園 山本典良園長)
「これが解剖録。1人の患者に4~5ページの記載」
32冊の解剖録には、開園翌年の1931年以降、25年間で亡くなった入所者のうち8割にあたる1834人の記録が残されていました。施設の増築の際に廃棄されるはずでしたが、非常勤の男性医師が大切に保管していました。 (長島愛生園 山本典良園長)
「開示できないのが非常に残念。これが開示できる世の中、ハンセン病による偏見差別が なくなる世の中になってほしい」
解剖録を見ることができるのは、医師と遺族だけ。入所者と同じように、偏見や差別に苦しんできた遺族が、開示を求めることはありませんでした。ところが…。
(長島愛生園 山本典良園長)
「同じ思いの人がいるんだなと」 木村仙太郎さんの遺族が解剖録を見せてほしいと、山本園長のもとを訪れたのです。仙太郎さんの弟の孫、木村真三さん(55)です。仙太郎さんは、木村さんの大伯父にあたります。 「これが木村仙太郎さんの解剖の記録。6ページ」 木村さんが、仙太郎さんの存在を知ったのは28歳の時。病床に伏せる父親が教えてくれました。放射線被ばくを研究する医学者として、被ばくの風評被害に苦しむ人たちと関わってきた木村さん。 長きに渡り、差別と偏見にさらされてきたハンセン病の元患者である仙太郎さんの人生を深く知りたいと思うようになりました。そして、その過程で解剖録の存在を知ることになったのです。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「これも遺族の生きた証。人権回復は、家族の人権回復も含めて、自分たちの我がこととして見ていける」 「左の腎臓。10×6×4センチで130グラム。たぶん肺の開けたところの絵だと思う。直接的な死因は、結核によるもの」
木村さんに開示されたのは、仙太郎さんの解剖録や死亡診断書、解剖の同意書など6つの資料です。 この日、木村さんは、初めて、写真で残る仙太郎さんと対面しました。 (仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「大伯父はハンセン病で指がなかったから文字が書けない。肺結核が進んで自分の意思で書くことが出来ないと思うので、代筆だと分かった。複雑な気持ち」
解剖に適切な同意があったのか疑問が残る一方で、入所後、わずか2年で亡くなった仙太郎さんに対し、胸をなでおろすこともありました。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「自分で命を絶ったりしていたらつらいと思っていたが、そうではなく、病気で亡くなったということ。医学者という立場で、面白がって扱っているわけではないことは明らかに感じた。解剖録があって遺族としては良かった」 仙太郎さんの人生と改めて向き合った木村さんは、山本園長に仙太郎さんの写真と解剖録を、展示してほしいと要望しました。
(仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「仙太郎を世間にさらす、さらすんじゃなくて、彼はまっとうに生きていたんだと、生きた証だと思う」 ■約1カ月後
■全国初 ハンセン病元患者の解剖録展示 (仙太郎さんの遺族 木村真三さん)
「もしかしたら万に一つでも、自分も名乗り出ようと思う人たちが出てくれればと思って公開した」 展示が始まって約2カ月。解剖録の開示を申し出た遺族は、まだいません。
(長島愛生園 山本典良園長)
「患者家族が手をあげないのは、偏見差別があるから。手をあげてくれる人が多ければ多いほど、徐々に解除、偏見差別が解消されている目安になる」 (山本園長と見学した高校生とのやりとり)
「(Q:この人どんな気持ち? 怒りとかあるかな?)落ち込んでる。諦めてる」
(見学した高校生は…)
「病気にかかったことも差別も苦しいと思う。それでも最期まで生きていてすごい」 「誹謗中傷とか、新型コロナになったとか、差別をしないように注意したい」
「写真見て言葉ではない、伝わるものを感じ取れた」
山本園長は、今後、他の入所者の写真も多くの人に見てもらえる機会を持ちたいと願っています。
(長島愛生園 山本典良園長)
「じっくり見て、初めて、これは残す価値があるなと。写真には、人生が書いてあるなと、人生が感じられると思っている」 約80年の時を経て公開された「解剖録」。ハンセン病の元患者の生きた証ともいえるこの資料は、私たちに大切なことを語りかけています。