2023.01.11
さらなる高みを目指して…西日本豪雨で被災 高校生スイマー旅立ちの決断【岡山】
西日本豪雨で被災した倉敷市真備町の高校生スイマーが、もうすぐ卒業を迎えます。選手としての成長を目指し、初めて故郷を離れる2023年。その決断の裏にある思いを取材しました。
総社高校3年の三宅琉暉君(18)。2022年の夏、100メートル自由形で自身初の全国タイトルを手にした倉敷市真備町の競泳選手です。この春、県外の大学への進学が決まっています。 (総社高校3年 三宅琉暉君)
「結果を出さないと、いろんな人に見てもらえないし、結果で恩返しをするといっても口だけになってしまう。覚悟を持って県外に出ると決めた」 ■倉敷市真備町 2018年7月 2018年の西日本豪雨で、まちの約4分の1が浸水した倉敷市真備町。
(三宅琉暉君)
「被災者の気持ちをしっかり考えて、みんなに元気を与えていけるよう頑張って泳いだ」 水泳を始めたのは4歳の時。 持ち前のスタミナを武器に、花形種目の100メートル自由形を得意としています。小学生まで目立った活躍はありませんでしたが、被災をきっかけに急成長。中学3年生の時には全国大会で入賞するなど、着実に力をつけていきました。 (三宅君を指導する 野田直裕コーチ)
「もちろん心の中で不安はあったと思うが、水泳の練習に来た時は、練習だけに打ち込めて、普段と生活が違うから調子が悪いとか、いつもとルーチンが変わったからとか、そういう厳しい環境に置かれているのを言い訳せずに、競技に打ち込んだ結果が今の飛躍につながっていると思う」 「自分の泳ぎで真備町を元気にしたい」その一心で駆け上がってきた成長の階段ですが、高校に入ってからはうまくいかない時もありました。
(三宅琉暉君)
「高2の半ばくらい。インターハイの時とかも結構伸び悩んでいた」
そんな時、力をくれたのは真備町の人たちでした。
(三宅琉暉君)
「真備シュー3つとチーズケーキ1つ、シャインマスカットのショートケーキ1つ」 三宅君の自宅近くにある洋菓子店です。
「(アルバイトの子と)三宅くんは学年が1つ違いなので、たぶん顔見知りだと思う」 (ウォールウォーレンのアルバイトは…)
「よく表彰を受けていたから知っていた」 (ウォールウォーレン 佐藤尚子さん)
「まち全体が暗い時期があったので、頑張ってくれる子がいるのは、みんなにとって励みになるし、明るい話題なのでうれしい」 (三宅琉暉君)
「いろんな人に応援してもらうのは、励みになるし、力にもなる。とても感謝している」 地元からの支えを力に、ますます練習に打ち込んだ三宅君。
(三宅琉暉君)
「追い込んでいかないといけないし、自分の可能性をもっと見出したい。夢のオリンピックに出場するのは、親への恩返しになるし、真備町の人への恩返しにもなる。そこを頑張りたいと思う」 さらなる高みを目指して新たな一歩を踏み出す18歳。変わらぬ真備町への思いを胸に、これからも泳ぎ続けます。
総社高校3年の三宅琉暉君(18)。2022年の夏、100メートル自由形で自身初の全国タイトルを手にした倉敷市真備町の競泳選手です。この春、県外の大学への進学が決まっています。 (総社高校3年 三宅琉暉君)
「結果を出さないと、いろんな人に見てもらえないし、結果で恩返しをするといっても口だけになってしまう。覚悟を持って県外に出ると決めた」 ■倉敷市真備町 2018年7月 2018年の西日本豪雨で、まちの約4分の1が浸水した倉敷市真備町。
当時、中学2年生だった三宅君も被災し、自宅は1階の天井付近まで水に浸かりました。
(三宅琉暉君)
「ショックで…。(家が)浸かっていると思っていなかった。見た時は本当に涙が出そうだった。今まで住んでいた家だったので」
それでも、同じスイミングクラブの仲間に励まされ、被災の翌日から練習を再開。豪雨から1週間後に開かれた全国大会の県予選にも出場し、3年生の選手らを破って初優勝を飾りました。このレースが、その後の競技人生に大きな変化をもたらします。「ショックで…。(家が)浸かっていると思っていなかった。見た時は本当に涙が出そうだった。今まで住んでいた家だったので」
(三宅琉暉君)
「被災者の気持ちをしっかり考えて、みんなに元気を与えていけるよう頑張って泳いだ」 水泳を始めたのは4歳の時。 持ち前のスタミナを武器に、花形種目の100メートル自由形を得意としています。小学生まで目立った活躍はありませんでしたが、被災をきっかけに急成長。中学3年生の時には全国大会で入賞するなど、着実に力をつけていきました。 (三宅君を指導する 野田直裕コーチ)
「もちろん心の中で不安はあったと思うが、水泳の練習に来た時は、練習だけに打ち込めて、普段と生活が違うから調子が悪いとか、いつもとルーチンが変わったからとか、そういう厳しい環境に置かれているのを言い訳せずに、競技に打ち込んだ結果が今の飛躍につながっていると思う」 「自分の泳ぎで真備町を元気にしたい」その一心で駆け上がってきた成長の階段ですが、高校に入ってからはうまくいかない時もありました。
(三宅琉暉君)
「高2の半ばくらい。インターハイの時とかも結構伸び悩んでいた」
そんな時、力をくれたのは真備町の人たちでした。
(三宅琉暉君)
「真備シュー3つとチーズケーキ1つ、シャインマスカットのショートケーキ1つ」 三宅君の自宅近くにある洋菓子店です。
店を営む佐藤さんも豪雨で被災していて、三宅君の活躍がまちの復興へ大きな励みになっていることを感じていました。
(ウォールウォーレン 佐藤尚子さん)「(アルバイトの子と)三宅くんは学年が1つ違いなので、たぶん顔見知りだと思う」 (ウォールウォーレンのアルバイトは…)
「よく表彰を受けていたから知っていた」 (ウォールウォーレン 佐藤尚子さん)
「まち全体が暗い時期があったので、頑張ってくれる子がいるのは、みんなにとって励みになるし、明るい話題なのでうれしい」 (三宅琉暉君)
「いろんな人に応援してもらうのは、励みになるし、力にもなる。とても感謝している」 地元からの支えを力に、ますます練習に打ち込んだ三宅君。
高校最後のインターハイは、100メートル自由形で堂々の8位入賞。その直後の全国大会では、悲願の初優勝を飾るまで実力を伸ばしていました。
そして、豪雨から5年の節目の年となる、2023年。真備町のスイマーは旅立ちの時を迎えます。(三宅琉暉君)
「追い込んでいかないといけないし、自分の可能性をもっと見出したい。夢のオリンピックに出場するのは、親への恩返しになるし、真備町の人への恩返しにもなる。そこを頑張りたいと思う」 さらなる高みを目指して新たな一歩を踏み出す18歳。変わらぬ真備町への思いを胸に、これからも泳ぎ続けます。