2022.08.30
じん帯2本断裂…絶望からの復活 名門バレエ学校を”首席”で卒業した丸亀市出身の18歳【香川】
目標は、世界で活躍するプリンシパルです。丸亀市出身の男性が2022年の夏、イギリスのバレエ学校を首席で卒業しました。9月からプロを目指しアメリカで始まる新生活への思いを聞きました。
(三宅啄未さん)
「(丸亀は)リセットされるというか、すんってなれる場所」 丸亀市出身の三宅啄未さん(18)。この夏、イギリスの名門バレエ学校、ロイヤルバレエスクールを卒業し、ふるさとに帰ってきました。 13歳で単身イギリスに渡り5年間技を磨いてきた三宅さん。世界トップレベルの生徒が集まるなか首席で卒業しました。
5年前、若手のバレエダンサーの登竜門とされる国際コンクール「ユース・アメリカ・グランプリ」で世界1位に輝きました。
(三宅啄未さん(当時13歳))
「うれしかった。本当に自分なのかなと思った」 この優勝をきっかけにイギリスへの留学が決まり、バレエ人生は順風満帆に見えましたが…
(三宅啄未さん)
「じん帯が2本断裂して、じん帯がないので足がぷらぷらなので、再建手術をした」 留学4年目、練習中に右足首のじん帯を断裂する大けがに2度見舞われました。それは、バレエ団の入団試験を目前にした大事な時期のことでした。
(三宅啄未さん)
「絶望でしかない。就活前の最後追い込める時期でやっちゃったのでその間にみんなが成長しているなかで僕はケガと向き合わないといけなかった」
ケガは入団試験までに完治せずイギリスのバレエ団に入る夢は叶いませんでしたが、その後回復し、世界5大バレエ団の一つ「アメリカン・バレエ・シアター」の研修生に見事合格しました。 バレエ学校を首席で卒業した時、先生からかけられた言葉があるといいます。
(三宅啄未さん)
「君はこれからプロになるけど、プロになっても全然問題なくやっていけるくらいスター性があるからしっかり頑張ってくれと。プリンシパルになってもそこで満足しない、先を目指して頑張っていけるダンサーになりたい」 三宅さんは今週末アメリカに出発します。
(三宅啄未さん)
「(丸亀は)リセットされるというか、すんってなれる場所」 丸亀市出身の三宅啄未さん(18)。この夏、イギリスの名門バレエ学校、ロイヤルバレエスクールを卒業し、ふるさとに帰ってきました。 13歳で単身イギリスに渡り5年間技を磨いてきた三宅さん。世界トップレベルの生徒が集まるなか首席で卒業しました。
(三宅啄未さん)
「うれしかった、シンプルに。(Q:想像していた?)全く。でも先生から評価されていたのは僕の踊りのダイナミックさと、音の取り方」
三宅さんは曾祖父が1940年に開設した教室で3歳から本格的にバレエを始めました。
「うれしかった、シンプルに。(Q:想像していた?)全く。でも先生から評価されていたのは僕の踊りのダイナミックさと、音の取り方」
そして…
「タクミ・ミヤケ」5年前、若手のバレエダンサーの登竜門とされる国際コンクール「ユース・アメリカ・グランプリ」で世界1位に輝きました。
(三宅啄未さん(当時13歳))
「うれしかった。本当に自分なのかなと思った」 この優勝をきっかけにイギリスへの留学が決まり、バレエ人生は順風満帆に見えましたが…
(三宅啄未さん)
「じん帯が2本断裂して、じん帯がないので足がぷらぷらなので、再建手術をした」 留学4年目、練習中に右足首のじん帯を断裂する大けがに2度見舞われました。それは、バレエ団の入団試験を目前にした大事な時期のことでした。
(三宅啄未さん)
「絶望でしかない。就活前の最後追い込める時期でやっちゃったのでその間にみんなが成長しているなかで僕はケガと向き合わないといけなかった」
ケガは入団試験までに完治せずイギリスのバレエ団に入る夢は叶いませんでしたが、その後回復し、世界5大バレエ団の一つ「アメリカン・バレエ・シアター」の研修生に見事合格しました。 バレエ学校を首席で卒業した時、先生からかけられた言葉があるといいます。
(三宅啄未さん)
「君はこれからプロになるけど、プロになっても全然問題なくやっていけるくらいスター性があるからしっかり頑張ってくれと。プリンシパルになってもそこで満足しない、先を目指して頑張っていけるダンサーになりたい」 三宅さんは今週末アメリカに出発します。